誰かのために!は、自分のためでもあると心得よ
誰かのため・・・
先生方は言います。
「子どもたちのためだから・・・」
親御さんは言います。
「娘や息子のためだから・・・」
確かに頷けます。
可愛い生徒さんや我が子のためなら、できることを精一杯にすることは、当然だと捉えられます。
しかし、そこにはもう一つある気持ちが隠れているはずなのです。
それは、後になって気づくことがあるもの。
自分と誰かを繋ぐ関わり
私たちは一人では生きていかれないことにフッと気づくことがあります。
それは、誰かや何かと関りを持つ時です。
単純に考えれば、自分ではできないことを誰かがしてくれている!
誰かが作ってくれたものを使っている!
誰かは見えませんが、そのように物事の循環を当たり前のように感じている日々なのです。
ですから、自分が何か行う時には、誰かのためでもあり、自分が満足するということにも繋がるはずなのです。
対象となるものが見える時、つまり先ほど話した「子どもたちのため」「娘や息子のため」という自分と関わりの深い人に対して行動することで自分の心も満たされるのです。
考えてみてください。
これは誰かのためであることを前提としていますが、自分が満足するためでもあると捉えられませんか?
自分の行動したことは、必ず自分に返ってきます。
それを相手のためだと捉えるよりも、素直に自分もこう感じたなどと受け取ることで良いのです。
さもないと、自分の行った行為に見返りを求めてしまうからなのです。
例えば、子どもたちに伝えたことが守られていないと思うと、なぜわからないのだ!と怒りも湧くでしょう。そこには自分が伝えれば大丈夫!きっとしっかりと守られるはずだと自分自身に自信があるからなのです。
そこには自分の心の安定しか求めていない自分の姿が見えてしまうはずです。
関りに喜びを感じるてほしい
私たちの生活は、助け助けられるという関りが多いものです。
それが見えない誰かであろうと、感謝の気持ちを持っていることで関りを感じられるでしょう。
誰かのためは、自分のためでもある!
そう思えば、誰かのために行うことに意義を感じ、喜びもあるかと思うのです。
小さなことでも、誰かにしてあげたと押し付けるより、誰かという対象者がいることを喜び、自分にできることがあること、させていただけたと考えてみると、自分が救われるような感覚になります。
自分が役に立つという事実をしっかりと感じられる場面。
「ありがとう」「嬉しいです」「これからもよろしく」などという言葉を受け取れる時。
自分のできることを、しっかりとできる場面を大切にしてほしいと思うのです。
それが、誰かのためであり、自分のために繋がるのですから・・・。