成長して気づく母の愛
しつけ
その人は二人の娘の母親。
決して裕福な家庭ではありませんでしたが、しっかりと家計を切り盛りし、娘には色々と習い事もさせていました。長女にはピアノ、絵画、習字、そして学習塾。次女には絵画と習字。
長女は、あまり一つのことに集中するタイプではなく誰かと一緒が大好きなタイプ。
次女は正反対であり、集中力は抜群、手先も器用なところは母譲り、一人遊びを好むタイプ。
母である彼女は、その二人の性格を理解し認めたうえで育て方(関わり方)を工夫しました。と言っても、二人を差別したわけではありません。特徴を伸ばそうとしたのです。
豊かに生活する中で好きなことをさせるのとはわけが違います。
やりたいことを自己主張する娘の話しに耳を傾け、じっくりと話しをしてから賛成し、それをやらせる。
やめる時も、叱りはしません。始める時と同様に話しを聞き納得する。
それは、そこから何を得たいのかを初めに聞いていたからでもあるのです。
求めるものが得られたのだと理解したのでしょう。
その人が、最も大切に考えていたことは、他人に迷惑をかけないこと!でした。
それは、立ち振る舞い一つにしても周りに気遣うということでもありました。
例えば、電車の中で座っているとき、両膝が開いていると容赦なく手でピシャリ!と叩きます。
足をブラブラさせているときも同じ。言葉はありません。
お会いした人に、ちゃんと挨拶をすること、邪魔になる行動をとらないなど当たり前のことを幼い頃から教えてきました。
さらに、食事のマナーも美味しく楽しく食べながら学ばせたようです。
これが「しつけ」なのです。言葉でなく、姿勢を学ばせること。
幼い二人には厳しいと感じることもあったようですが、成長したときに思うことは、有り難いということ。
そんな生活において、子どもの勉強についてだけは厳しくすることがありませんでした。
「勉強しなさい!」とは言わないのです。
その代わりに、「今日はやることないの?」「やることは何?」と聞きます。
自分で勉強は管理しなさいということだったのでしょう。
部屋数もない家で、居間のテーブルが二人の机となる時間。
長女はコツコツやりますが、次女は要領よくサッサと片付ける。
そこにも違いがあります。しかし母親として何も言いません。
二人のやり方を認めていたのです。
長女が受験の時には、笑い話としか言いようのないエピソードがあります。
自室で夜遅くまで勉強している娘に「もういい加減に寝て下さい!気になって寝られないの。寝なさい!!」と命令口調。
言われた娘は、一生懸命に勉強しているのに・・・と母の気持ちは全く理解できない。
仕方なく夜は早めに寝て、朝早く起きて勉強することに。
しかし、これが受験生にとって最適な習慣となっていたのです。
早起きする毎日が、まったく辛くなくなり、疲れも感じなくなりました。
もちろん、受験日は早く起きねばならなかったのですが、そんな苦労もありませんでした。
母親であるその人は、何もかもお見通しだったのではないでしょうか。
意図が理解できる時
成長した娘二人は、亡き母のことをよく話します。
大人になり、母を亡くし、やっと母親が自分たちに対してとった行動を分析できるようになりました。
大人になり、周りの関わる人たちと自分を照らし合わせた時、決して悲観するような自分ではない!
人に迷惑をかける行動をしていない。
いつも明るく相手のことを考え、感じて接することができる。
そういえば、良く自宅に大勢の人たちが集まっていたことがあったようです。
誰からも好かれ、信頼されていた母親だったのでしょう。
実はその人が母親となる前に歩んできた道は、娘が考えられないほど苦労の連続だったのです。
しかし、そんな生活から豊かに生きるための方程式を導き出したのだと思われます。
そして母になり、娘たちにそれをどのように伝えるか・・・
様々な工夫や、「しつけ」と呼ばれるものとなり現れました。
大人になった娘は母に感謝のみならず、まったく嫌だと感じなかった当時の自分がいたことに気づきます。
自立の道へ導いてくれたのは、母のしつけであり、教えだったのです。
厳しさと優しさ
我が子にうるさく言うのは、簡単かもしれません。
しかし、それが「お母さんに恥をかかせないで!恥ずかしいでしょ!!」というように、母親自身のためになっていないか見直してみる必要があるでしょう。
子どもが成長して自立の道を歩むとき、少しでも世間を広い目で捉えられるように、幼い時から考えて関わることも大切です。
いつまでも親は子どものそばにはいない・・・
これは親になって、はっきり実感することかもしれません。
我が子の個性を読み取り、それを伸ばすための家庭教育は親御さんの考え方次第なのです。
その人は、母親として二人の娘を育てましたが、子育てをしている時が一番幸せだったのかもしれません。
子どものことで一喜一憂し、一緒に走り回っていたあの頃・・・
我が子の成長は、親にとって何より嬉しく、子どもからのプレゼントなのだと心から思うのです。
今でも、その人の写真は笑っています。
ずいぶん似てきました・・・お母さん。
娘として、お母さんのように生きることができれば・・・。
そうあるように毎日を生きていきます。